東京高等裁判所 昭和30年(ナ)16号 判決 1955年12月16日
原告 矢野間乂
被告 阿部克己
主文
本訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「昭和三十年三月二十日施行された沼田市議会議員選挙における被告の当選を無効とする。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因として「原告は昭和三十年三月二十日施行された沼田市議会議員選挙における選挙権者でありかつ選挙候補者であり、被告は右選挙において同市議会議員に当選した者である。しかして被告の右選挙における選挙運動に関する出納責任者は訴外阿部善之であるが、同人はその選挙運動に関して公職選挙法第二百二十一条の罪を犯し沼田簡易裁判所で罰金三万円に処せられ、その裁判は昭和三十年七月十三日確定した。よつて同法第二百五十一条の二の規定に従い本訴請求に及んだ。」と述べ、被告の本案前の主張に対し「本件選挙当時沼田市が第一ないし第五選挙区に区劃されていたこと、原告が第一選挙区の選挙権者でかつ選挙候補者であつたこと及び被告が第三選挙区から立候補して当選したものであることは認める。しかし原告は以下の理由により本訴請求をなす権利を有するものである。すなわち、
一、公職選挙法は昭和二十九年十二月八日法律第二百七号により第二百五十一条の二を新設し、総括主宰者出納責任者の選挙犯罪により刑に処せられたとき特別な反証のない限り当該当選は無効とし、所謂連座制の強化をはかり、政治の公明を期し各界多年の要望に沿うている。すなわち自粛立法の線に副うて有名無実とされた連座規定が改正されたものである。そして同法第二百十一条には右選挙犯罪による当選無効の訴訟を提起し得るものを「当選を無効であると認める選挙人又は公職の候補者」としている。この規定があらゆる場合当選人と同一の選挙区の選挙人(又は公職の候補者)と限定されるとする理由が果して見出されるであろうか。選挙区は法律で定める場合(衆議院議員)あり、或は随時条例で定め得る場合(地方公共団体の議会の議員)もあり後者の場合にも極めて特殊な臨時的な場合(例えば町村合併直後の選挙の場合で定数選挙区等暫定的の場合)等種々の場合がある。又訴を提起する者についても社会機構の変貌により地方公共団体の地域全体の代表という場合等という場合もあるであろう。かかる場合常に一律に当選人と同一の選挙区の選挙人に限るもので然らざるものは何人と雖も訴権なしとされるものであろうか。公職選挙法第二百十一条には単に「無効であると認める選挙人」とだけあるのである。それ故に右の「選挙人」の範囲はもとより無制限ではあり得ないが、右法の趣旨からすれば同一選挙の際の選挙人で選挙に直接の関係があり選挙による利益を直接享受する選挙人であれば当然訴権を有するものといわなければならず、これが最も妥当な見解とすべきである。
二、沼田市は町村合併促進法により近隣五ケ町村を合併して新設されたもので、「市」とは申せ旧町の少しく大きい程度のものである。そして町村合併促進法第九条により、議員の定数を合併後最初に行われる選出議員の任期に限り(促進法第九条第二項)増加させ、これに伴い選挙区も合併直後の暫定措置として定めたものであつて、これは条例を定めた趣旨経過からも明かであり地域にとつては公知の事実である。而して選挙そのものももとより同一選挙管理委員会の下に新市全体にわたつて統一されて行われ、世論もしたがつて選挙運動も又選挙区に拘泥されることなく全市にわたることが通常であつたものである。そして合併融合された小市である故、もとより選挙の結果による議員も小選挙区域の代表という意味は稀薄であり、「沼田市民の代表」としての意識が殆ど総てであり、これらの議員による議会政治によつて受ける利益は沼田市全体に常に直接関連するものであつて、国大都市(例えば東京都における区)等における府県或は区選出議員(府県選出国会議員区選出都会議員)等とは根本的に性質に差異があるものである。されば沼田市の場合「選挙区」を一般的な場合の選挙区と同一に考え、当選人の選挙区以外の者は当該選挙に対し何等異議訴求を為し得ないとなすは実状を無視すること甚だしいものである。
三、原告はもとより右の沼田市議会議員選挙の際は選挙区は第一選挙区であつた。のみならず第一選挙区の選挙人としてのみ本訴を提起したのではもとよりない。原告は左記事実のように沼田市全地域の者の総意を代表したものであつたのである。すなわち、原告は沼田市全体に及ぶ働く者の団体の連合体である利根地区労働組合協議会の書記長であつて、組合の正規の決議により組合員(沼田市全体にまたがる選挙人)の意思を代表して本訴を提起するに至つたものである。すなわち、右協議会は広く全地域にわたり種々活溌な社会的啓蒙的運動を続けているものであるが、本件においては、右協議会で、公職選挙法の趣旨に則り、公明選挙の完全実施実現のため昭和三十年八月十日総意をもつて辞職を勧告し、更に被告に反省の色なき故に、最後の手段として全地域の代表者として(当然第三選挙区も含む)協議会書記長である原告本人の名で本訴を提起するに至つたものである。しかりとすれば、選挙区が異なる故訴権を有せずとなすことは原告の実質的性格を無視すること甚だしいもので到底容認され得ないものであつて、原告が訴権を有することは極めて明白である。
と答えた。
被告訴訟代理人は「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、本案前の主張として「原告は本件訴訟に関する訴権を有せず、従つて本件訴訟の当事者たる資格がない。すなわち、公職選挙法第二百五十一条の二において、選挙運動の総括主宰者又は出納責任者が同条所定の犯罪を犯し、刑に処せられたる時は当該当選人の当選は無効とすると規定すると共に、更に同法第二百十一条において、前記犯罪により当該当選人の当選が無効であると認める選挙人はその裁判確定の日から三十日以内に、高等裁判所に訴を提起し、当選人の当選無効の確認を求め得る旨規定している。本条に所謂「選挙人」とは当該選挙に関係なき一般抽象的な、選挙人と解すべきではなく、「当該選挙における当該選挙区の選挙人」と解すべきであることは本条の立法趣旨よりして明白である。蓋し公職選挙法の立法趣旨は、選挙の公正を確保し選挙人の自由に表明せられたる意思の存する処を遺憾なく選挙の結果に反映せしめ、以て健全な民主々義の基幹に培うことにあることは論を俟たない。従つて単に選挙の公正のみに重点を置きこれを担保せんとすれば、本件の如き当選の効力を争う所謂客観訴訟においては、この種訴提起権者を限定することなく、広く一般住民又は選挙民に訴提起権を開放し、その期間の如きも限定することなく、その利益の存する限り、何時にても、訴の提起を許すことが至当の処置と言はなければならない。又それが選挙の公正を最もよく担保する方法であると言はなければならない。然し立法においては実際には然らずして、これを制限している。蓋うに、斯る当選人の当選の効力を争はしめる結果の如何によつては、或る場合には、次点繰上ではすまず、時には、当該選挙区における再選挙を伴う等当選人の受ける不利益は別としても、広く社会経済上又民心に与える影響の甚大なるに鑑み、通常行政訴訟上の客観訴訟においては、多くの場合、出訴権者を限定し、出訴期間に制限を加えているのである。これ、一度形成せられた法秩序の混乱を防止すると共に、その早期安定を計るの意図に出ているものであることは明らかである。されば裁判上、その当選が無効とせらるべき法定の原因が存する場合においても法定の正当なる訴提起権者にして法定の期間内に出訴せざる限りは、その当選人の当選の効力を有効とし、爾後その有効無効について一切の紛争を許さないと言う趣旨に他ならないのである。本法に所謂選挙人は具体的には、常に選挙区を標準として、始めて合理的に考えられる観念である。公職選挙法が、同法第三章において、特に「選挙に関する区域」なる一章を設け(第十二条以下)、国会議員等の選挙区を法定し(同法別表(一))、又都道府県議会の議員については「郡市の区域とする」旨規定し、条例で数区を併せて一区にすることができるとし、その第十五条第五項においては、「市町村は必要があるときは、その議会の議員の選挙について条例で選挙区を設けることができる」旨規定している。更に、同法同条第六項において「市町村の議会の議員の選挙人の所属の選挙区は、その住所により定める」旨規定している。以上の如き法条の趣旨を綜合して考えると、選挙には常に選挙区の限定があり、自己の選挙区外の候補者に投票しても無効であり、次点者の繰上も、再選挙も亦常に選挙区を基準として行われ、甲区の補欠選挙を乙区において行うということはない。即ち選挙権を実際に行使し得るのは、自己の選挙区を通じてのみである。公職選挙法において、所謂選挙人と明示してある場合においては、法は決して一般抽象的人格としての、選挙人を思惟しているものではなく、常に法定の資格を有する選挙人が具体的に、その選挙権を行使し得べき土地との関連においてこれと密着して選挙人を考えているのであつて、実際には何れの選挙区にも所属しない選挙人という観念はないのである。選挙に関する争訟の如きも具体的に斯る選挙人を考えてこそ、始めてその実効を発揮するものなのである。選挙法においては、大にしては全国区小にしては市町村条例により設けられる市町村議会の議員の選挙区に至るまで、この土地と住居と密着した選挙区の選挙人が考えられているのである。斯る選挙区を設けた趣旨は一方において選挙の技術的要請もさることながら、他方における重要な意味は、選挙人をして、候補者の適否の判断を為すを容易ならしめ、以て最もよく民意を反映せしめる点にあることは疑いのないところである。ひとたびこの選挙を度外視して選挙人を考えるにおいてはかの当選の効力を争う争訟において、その最も極端なる一例を仮に設定すれば、長崎市議会の議員の選挙人に、東京都議会の議員の当選人の当選無効を云々せしめる如き珍妙な、結論が出るが、この結果の常識上から言つても奇異のものであることは何人も疑ないところであろう。この帰結から言つても、本件市議会議員の選挙の当選人の無効確認争訟の如きも当該選挙区の選挙人を考えなければならないものであることが、結論せられるのである。叙上の見地から言えばいやしくも選挙法が市町議会の議員の選挙区を設けることができる旨規定し、これを条例に援ねしているものなる以上、これに基いて本件沼田市条例が同市議会議員の選挙区をその必要を認めて五区と定めているのであるから、選挙はこの区分によつて行われるのであつて、その選挙人はこの所属区内においてのみ自己の選挙権を行使し得るのであつて、その選挙の監視権も斯る選挙人の所属する選挙区内において行使せらるべき筋合いである。従つて第一区の選挙人は第三区の候補者に対しては選挙権を行使して選挙をなし得ないのであるから、その当選人の当選の無効を主張し得るも亦自己の所属する選挙区の当選人のこれに限られるのである。本件と異り全市が一選挙区となつて居り特に条例で区を設けない場合には同市所属の選挙人であれば何人と言えども自己の監視権に基いて何れの当選人に対しても法第二百十一条の訴提起権を持つことは又当然のことである。蓋し選挙の目的が選挙民の自由に表明せられた参政権行使の正当な結果の反映たらしめる点にあるとすれば、その当選の効力を争いうる者も常にこの「当該選挙における当該選挙区の選挙人」と、解しなければならないものであることは自明の理である。即ち選挙権行使によつて何等自己の意思の反映がなされる可能性の全くない他区の選挙人は、同種の議会の議員の選挙の場合と雖も又本件の如く同じ市の市民であり選挙人であるという理由によつてだけでは、選挙区外の選挙の当選人の当選の無効を主張し得ないものと解しなければならないのである。このことはその選挙によつて選出された当選人である本件の如き市議会の議員が、自己の選挙区の選挙民の意思に拘束せられて活動するものではなく、常に全体の市民の代表者として行動し、常に市全体の利益にのみ奉仕すべきものであるという理論とは直接に関連のないことなのである。そこで飜つて本件原告矢野間乂が所謂同法第二百十一条に所謂選挙人に該当するか否かについて考えれば、前記の如く沼田市条例によつて設定せられた五個の選挙区中、原告は、第一区に所属し、被告にして当選人である阿部克己は第三区に所属するものであることは明かである。従つて原告矢野間は、本条に所謂選挙人には該当しないのであるから、原告は本件訴訟に関し沼田市市議会議員第三区選出にかかる、当選人被告阿部克己に対し、これを被告として当選無効を求めることは許されないから、原告の提起せる本訴は不適法として却下せらるべきものである。原告が利根地区労働組合協議会の書記長であることは認める。と述べ、本案について請求棄却の判決を求め、請求原因に対し「原告の主張事実はすべて認める。」と答えた。
(証拠省略)
理由
先ず被告の本案前の主張について判断する。
おもうに、公職選挙法が選挙人をして当選無効の訴訟を提起することができることにしたのは、その者の属する選挙区における選挙の公正を期そうとするためにほかならないから、選挙人は自己の属しない他の選挙区における当選人に対し当選無効の訴訟を提起することはできないものと解すべきである。すなわち選挙は各選挙区毎に分れて施行され、選挙人は自己の属する選挙区の選挙にのみ参加し得るのであるから、当選の効力を争い得るのも自己の属する選挙区の選挙に限られ、自ら参加し得ない選挙についてはこれに容啄する権利を有しないのである。また、選挙候補者はその立候補した選挙区以外の他の選挙区における当選人に対し当選無効の訴訟を提起することができないと解すべきことも前記と同様である。
ところで、本件についてみるに、昭和三十年三月二十日沼田市議会議員の選挙が施行され、被告が右選挙に於て市議会議員に当選した事実、原告が右選挙の選挙権者であり選挙候補者であつた事実は当事者間に争がなく、かつ右選挙当時沼田市がその条例により第一ないし第五選挙区に区劃されていたこと、原告が第一選挙区の選挙権者であり、かつ選挙候補者であつたこと、被告が第三選挙区から立候補して当選したものであることは当事者間に争いがない。従つて原告が被告に対し当選無効の訴を提起することの許されないことは、前段説示により明かであるといわねばならない。
原告は、沼田市の選挙区の区分は合併直後の暫定措置として定められたものであり、小市である沼田市と大都市とを同一に取扱うべきでないと主張するが、選挙区の定められた経過の如何、都市の大小により、選挙区を法律上異別に取扱うべき根拠はないから、この点の原告の主張は採用しない。
又、原告が利根地区労働組合協議会の書記長であることは当事者間に争がないが、原告は右資格に於て、組合の決議により組合員(沼田市全体にまたがる選挙人)の意思を代表して本訴を提起したものであると主張するが公職選挙法の規定によれば、当選を争う訴訟は、当該当選人の所属する選挙区の選挙権者又は選挙候補者に限つてこれが訴の提起を許したものと解すべく、原告の主張するが如き資格に於て、その訴提起を許容すべき法律上の根拠がないから、右資格に基く原告の本訴は許されないものと解する。
その他、原告の主張するところは、当裁判所の法律上の見解と異なる前提に基く主張であるから、いずれも採用しない。
よつて本訴は不適法であるから却下すべく、訴訟費用の負担につき公職選挙法第二百十九条民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 牛山要 岡崎隆 渡辺一雄)